京都の
知恩院にお参りにきています。
勿論 法事です。
決してサボりでは、ございません←(¬_¬)あやしい…
堂々と、休暇をとりました。

一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、
知恩院の門は、空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)の意味で、「三門」とされているとか。

この三門をくぐれば、
急な石段が続くので、膝が弱い母にはきついから、門を抜けて右側にまわり、ゆるい石段から上がって行きました。

御影堂で、回向をしてもらいます。(中は、撮影禁止です。)

左甚五郎(ひだり じんごろう)の忘れ傘と言われています。
左甚五郎は、桃山時代後期から江戸初期にかけて活躍したといわれる宮大工、彫物師、彫刻師ですねー!
知恩院の本堂の向かって右の屋根の内側(鳩よけの金網が現在は張られていますが。)何故、こんな所にあるのでしょう???
少し見え辛いかもしれませんが、傘の柄の部分だけ見えています。
以前、「濡髪童子の忘れ傘」と、聞いたことがあったのですが、寛永十年の大火で
知恩院が焼けて、8年後に再建され、落慶供養の時に僧の夢の中に、髪を濡らした一人の童子が傘をさして、屋根の上を飛び歩いていたそうです。
上人が静止すると、「余は仏法守護のダキ尼天なり、我ここを守る上は再び火を発せざるべし」と言い残して、傘だけを置いて消えてしまったそうでした。
白狐のお礼だという説もありますが…
大建築に供える魔除の傘とも言われているのは、このような仏教的思想からもきているのでしょうねぇ。
今日は、私の妹の祥月命日でした。
20歳になる前に、逝ってしまったのですが、今でも稀に夢に出てくることもあります。
母と私と孫(たちゅ)の3人で行き、
知恩院さんでお経をあげてもらったのです。

まもなく父の一回忌。
12月は、涙の多い月になります。
亡くなってから、初めて気づく親の深い愛情もありますねぇ。
- 2006/12/19(火) 16:05:09|
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